日野式とは
日野厚先生は、京都府京都市出身の医学博士で、松井病院食養内科医長でした。
松井病院は、日本で唯一の食養内科を開設している病院として知られています。
日野厚先生は、生来、胃腸が悪く、これでは育つまいと言われてきました。
医師の指示は忠実に守っていたそうですが、症状は次第に悪化してきたそうです。
もう誰の目にもその時代の正規の医学的治療法では見込みがないと思われていました。
そこで、最後の手段として選んだのが、古来より修行法として行われている断食でした。
そして、『実際的看護の秘訣』の著者である築田多吉先生と文通したところ、
断食をする前に石塚式食養法をするようにすすめられたそうです。
これは、半つき米を主食とし、動物性のものは小魚、白身魚にとどめ、根菜、海藻類を重用し、
植物性油を用い、胡麻を常食し、一口60回ぐらい咀嚼し、甘味品を避けるなどの内容でした。
石塚式食養生を数ヶ月実行してみると、体力がかなり回復してきたそうです。
その後、父母兄弟に伴われながら、大阪の断食寮を訪れ、10日間の断食を行ったそうです。
そして、この断食によって心身両面で劇的な転換を遂げ、奇跡的に蘇ったそうです。
また、この断食によって頭脳の働きが驚くほどよくなったそうです。
その後、伝統的な断食療法や民間の食事療法を科学的に研究し、
現代医学、現代栄養学に取り入れる事に決めたのでした。
断食によって蘇って以来、日野厚先生が一日にどれだけ食べてきたかといいますと、
だいたい800kcalから1,200kcalぐらいで、多い時で1,400kcalから1,500kcal、
しばしば600kcalから700kcalにとどまる事もあったそうです。
そのカロリーのほとんどが穀物からであり、たんぱく質はどうみても20gから25g、
時に多く摂ってもせいぜい35gぐらいだったそうです。
動物性のものは煮干し一匹さえ持続的に摂らなかった期間が10年以上もあったそうです。
これほど徹底した低カロリー、低たんぱくの食生活をかなり長期続けていても、
耐久力を長年に渡って保持し、重大な健康障害が認められなかったのです。
日野厚先生は桜沢如一先生後創案のマクロビオティックを経て、
その後、自らの体験で得た問題点を改変し、日野式食養生を創られました。
マクロビオティックは何事も陰陽論で考え、結論を出してくるので、
陰性食品である水も陰性体質にはよくないという事になります。
日野厚先生は桜沢如一先生から直接指導を受け、水を飲む量を極端に減らしておられました。
時には一日に一滴の水も飲まない事もあったそうです。
しかも、塩をなるべく多い目に摂れば陽性体質になれると信じ、厳格に実行されていました。
その結果、陽性体質になれたかというと全く逆で、酷い陰性体質になってしまったのです。
そして、胃潰瘍になり、手術を受けられました。
そのため、血清肝炎となり、ついに行き詰まって大変困っておられた時がありました。
それが、ふとした縁で甲田光雄先生の所へ入院され、今度は今までと全く逆で、
水、柿の葉茶、青汁を毎日充分飲み、それまで悪かった体調が好転してきたのです。
水分を極端に制限すると、腸が汚れてしまいます。
その結果、頭痛や冷え症などの症状が現れます。
冷え症は陰性体質の代表的な症状ですから、
陽性になるために水分を控えて逆に陰性になってしまうのです。
夏の暑い季節に多量の汗をかいたのに水を飲まないでいると、
体内のグアニジンという塩基性化合物が増えます。
私たちの体内ではグアニジンが発生しても、水が加わって尿素とアンモニアに分解します。
逆に水を飲まなかったら尿素とアンモニアからグアニジンが産生されます。
グアニジンが体内で増加すると顔がドス黒くなり、艶がなくなります。
また、大変寒がりになります。
毎日、水を充分飲むように習慣づけておけば、グアニジンが減り、寒がりも治ります。
海底で核酸、あるいはたんぱく質が生まれて、
これらが集まって細胞の形に近いものとして形成されたのが生命です。
その生命は自己複製能力を獲得して、増殖が可能となりました。
核酸やたんぱく質などを膜で囲んだだけの単細胞生物が、
やがて複数の細胞が集合した多細胞生物となって、進化の初期段階の動物が出現しました。
これらは無脊椎動物と呼ばれて、さらに後に脊椎と呼ばれる体を支える器官が出現します。
この脊椎を持った動物を脊椎動物と呼び、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類へと進化してきました。
人類がどのような食物を食べてきたかという事は、
私たち現代人の食性を考える上で興味深い点です。
アフリカの東海岸、キリマンジェロとビクトリア湖に挟まれたオルデュバイ渓谷は、
ペキン原人やジャワ原人などよりさらに古いジンジャントロプスと呼ばれる
200万年前の人類の祖先が発見され、にわかに脚光を浴びてきました。
ジンジャントロプスの門歯や犬歯は、現代人より寧ろ小さいくらいですが、
臼歯は断然大きく、優に私たち現代人の二倍にも及んでいました。
という事は、彼らが穀物菜食であった事を物語っている訳です。
恐らく、彼らの主食は栗、胡桃、団栗などの堅果、それに禾本科植物の実だったのでしょう。
その後は、他の動物の四肢骨に簡単な石器で孔をあけて、
その中の骨髄をすすっていたらしいのです。
骨髄をすするという冒険を試みるに至ったのは、
植物の入手が絶望的な世界での飢えのためでしょう。
人類は古くから肉食をしていたという訳ではありません。
恐らく、骨髄食⇒脳味噌食⇒臓腑食⇒肉食へと徐々に移行してきたのでしょう。
人類本来の穀物菜食の歴史に比べれば、肉食の歴史は極めて浅く、
私たちの体は、まだ肉食に充分適応できていないと考えるのが自然です。
化石化した霊長類の排泄物から、植物の種子や花粉などが沢山発見されています。
霊長類の歯の化石を電子顕微鏡で綿密に比較観察した結果、人類の先代に当たる
ホモ・エレクトスに至って初めて肉食を含めた雑食の痕跡を認める事ができました。
それより前の原人については、少なくとも1,200万年の間は木の実の類を
主食にしていたと思われる痕跡しか発見されていません。
アフリカのボツワナ共和国には、ブッシュマンと呼ばれる種族がいて、
今もなお原始時代同然の生活様式で健康に暮らしています。
彼らのうち、男性は狩りに出、女性は食用植物を採取します。
ブッシュマンの食べ物は60%〜80%が植物性です。
1,000kcalの食糧を手に入れるのに、植物採取なら4時間で済みますが、
狩猟では10時間もかかったと推測されています。
私たちの祖先がもし仮に肉食主体だったとしたら、とうの昔に滅びていたはずです。
肉食動物の唾液は酸性ですが、人間の唾液はアルカリ性で、
澱粉を消化する酵素、プチアリンを含んでいます。
様々な武器が発達したのは、人類発生以来の約100万年以上の歴史から考えると比較的近年の事で、
それまでは人間が素手で格闘して殺し得る範囲内の動物しか食べられなかった訳ですから、
当然、人体は肉食主体の適応に充分の年数が経っていないと考えられます。